
ヒストリー

2013
2013年には、メキシコ文化、特に「死者の日」と呼ばれるお祝いに日本で大きく関心が寄せられました。 Mayahuelのバーでは、日本・メキシコ人協会がメキシコのキャラをテーマにし、仮装パーティーを企画しました。 小さな祭壇(OFRENDA)と簡単な説明が日本人の注目を集めることができ、観客はこの祭典に魅了されました。
そのイベント後、この伝統について関心が高まり、参加者が増え、特に家族や友人と共有する空間が作れたことがこのイベントを続けるモチベーションとなりました。
今年は、日本初のカトリーナが誕生しました。(カトリーナ役:タキ・チェリー)
2014
2014年、セルバンテス施設内(東京)でイベントを実施する機会があり、 さまざまな活動やプレゼンテーションが行われました。Mictlán(メキシコの暗黒街)、プレヒスパニックダンスのプレゼンテーション、Octavio Paz作家への祭壇、写真と彫刻展、イラストのコンテスト、ペーパーワークショップ、そして死者の日に関連する映画が上映されました。
このような新たな経験が、公衆の間で期待を生み出し、開会日に120人以上の人が参加しました。 このカルチャーショーの2週間が成功したことで、セルバンテス施設が毎年その施設でイベントを続けてくれるよう依頼されました。
日本・メキシコ協会のFacebookサイトを通じて 展覧会が発表された後、より多くのメキシコ人がこのプロジェクトに協力して頂きました。なかには東京に定住している方やメキシコから作品を郵送し、参加することを望むアーティストもいました。


2015
2015年では、同胞の支援のおかげで、より広範で多様な写真展を開くことができました。また、メキシコの食べ物と飲み物の試飲を行い、前回と同じく、開会日には120人以上が参加しました。
今年はメキシコ大使館でイベントを開催することでき、私たちにとってとても重要でした。 おおよそ160人の人が出席したことでイベントは成功し、翌年には大使館から招待状を受けイベントを繰り返しました。
2016
「日本での死者の日」は、2016年に日本・メキシコ人協会から独立し、新しいコンセプトを提示しました。メキシコ共和国の各州の死者の日の伝統を示すことが目的でした。
カンペチェ州政府の協力を得て、13枚のPomuch町の写真を寄贈しました。
また、カトリナーのtzompantli(人間のガイコツとステークス)とさまざま展覧会を加えて、calaveritas作成(大人のためには砂糖で制作し、子供のためには紙を使用)のワークショップを行いました。この年では、モノグラムとメキシカン舞踊が大人気でした。 またカトリナスの歩行という新しい活動を開始し、東京の代表的な場所で写真撮影を行いました。


2017
2017年、メキシコ大使館は引き続き、私たちをサポートしましたが、このイベントはInstituto Cervantes Tokioでのみ開催されました。 今年は今までの中で一番大きなイベントとなり、グアナフアト州の展覧会を紹介し、ゲストを大きく動かしたイラストレーションを発表しました。 絵画や芸術的な技術の展示会も行いました。
私たちの以前のイベントにより、少なくとも120人が参加者を予定していましたが、メキシコと日本の方を合わせて200人以上が参加しました。
展覧会後、渋谷の象徴的な通りにカトリナの写真セッションを開きました。その後、メキシコのレストランEl Rincon de Samでパーティーを開きました。 そこでは、マリアッチの演奏でみんなで歌い、典型的なメキシコ料理を楽しむことができました
2018
東京を 越えて 2018年、通常通りInstituto Cervantes でイベントが行われました。
今回は文化死顧問の支援を受け、死者の日の意味についてのカンファレンスを開催しました。 過去数年とは異なり、今回は東京タワーに向かい、カトリーナの散歩後、伝統的な写真撮影が行われます。
成田で初めてこのイベントを紹介し、参加者数が70〜100人でとても好評でした。 2014年に初めて開催されたDay of the Deadの参加者数とほぼ同じ人数が集まりました。


2019
2019年のイベントでは、驚いたことに、元気TVとLINE Newsも 訪問しました。LINE Newsは、Whats Appと同様に日本で最もよく 使用されている通信メディアの1つであるLINEアプリケーションです。
グアダラハラは私たちのメインテーマとして、死者の日の伝統がこのメキシコ共和国の州でどのように生きているかを一連の写真で示しました。
この年は、カトリーナコンテストを初めて開催し、すべての協力者やアーティストの参加を得ました。